日本国憲法を巡る本質的な問い掛け。
「日本国憲法は制定当初、果たして“生きて”いたのか、
それとも“死んで”いたのか」。これまで、この「問い」はどれだけ自覚的に追及されて来たのか。
日本国憲法にとって、“急所”とも言える問いではあるまいか。
と言うのは、答えは、この問いが自覚された“瞬間”に、
出てしまうからだ。「死んでいた」と。
先ず、前文に「日本国民は…ここに主権が国民に存することを宣言し」
とあっても、被占領下にそのような事実があり得ないのは、
自明だろう。
更に、第3章の「国民の権利」も、全て占領当局=GHQの
恣意に委ねられた。
例えば、憲法は「検閲」を禁止している(21条2項)。
しかし、GHQによる検閲を抑止する力を、憲法は全く持たなかった
(被占領下の検閲の実態は江藤淳氏『閉ざされた
言語空間ー占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫など参照)。「言論の自由」(同条1項)をはじめ、立憲主義の観点から
最も重視すべき同章の規定は、憲法制定当初、殆ど実効性を
備えていなかった。
更に、同章に限らず、憲法全体が、GHQの意思に反しない
範囲内でのみ、効力を持ち得たに過ぎない。
憲法の本質である「国の最高法規」(98条)としての地位を、
実態としては与えられていなかった。
つまり「死んでいた」のだ。日本国憲法は、少なくともその制定“当初”において、
「死んだ」状態からスタートした。極めて不遇で、悲劇的な憲法と言う他ない。
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